運営会社

運営会社
アット・トライアングル株式会社

所在地
〒276-0022
千葉県八千代市上高野2068-1

電話
047-405-5001

自己紹介

大澤 義比佐
アット・トライアングル株式会社代表取締役
ペット・トライアングル ドッグトレーナー

プロフィール

このサイトを書いている大澤です。50代にして初めて成功したダイエットを記録する、また同じようにダイエットに挑戦しようとしている方の参考になれば、と思いこのブログを立ち上げました。このページで、どんな人間か簡単に自己紹介しておきます。

▼出身は千葉県、大学卒業後社会人になってからは長野県に10年以上暮らし、その後約4年をルクセンブルグで過ごし、40歳直前になって、また日本、千葉県に戻ってきました。
▼東京オリンピックは幼稚園の時、大阪の万博は小学校高学年だったでしょうか。いのしし年のしし座のO型です。

※この先は、だらだらと書いているます。読んでも時間の無駄になる可能性があります。あまり見る価値もないかと思うのでご注意ください。なお、下の文章のほとんどは、当社が運営するペット・トライアングルのサイトの「サラリーマンからドッグトレーナーへ」のページと同じ内容です。

2014年夏に永眠した愛犬ミルキーとの一枚

■学校

▼最後に卒業した学校は、早稲田大学で専攻は理工学部機械工学科です。といっても、高校が早稲田大学高等学院という高校で、成績に関わらず卒業すれば早稲田大学のどこかには入れる学校で、当時は政経学部や、理工でも電子通信や建築などは成績が良くないと入れませんでしたが、機械工学は、成績に関係なく入れました。本当は歴史が好きだったので、文学部に行きたかったのですが、当時車も好きで、自動車メーカーに入ることを考えていたので、機械工学科に進みました。大学受験はしないで入っているので偉そうなことは言えないのです。
▼自動車メーカーに入りたくて機械工学科を選んだものの、よく考えると自動車メーカーに入ると、そのメーカーの車しか乗れない、ということから、自動車メーカーは就職先の候補から外し、自宅の近くに工場のあった東京電気化学工業という会社に就職しました。東京電気化学工業と言ってもわかる方は少ないかもしれませんが、私と同年代ぐらいの方であれば、ビデオテープやオーディオテープのTDKと言えば、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。入社してすぐに会社の名前もTDK株式会社に変更されました。でも、このTDKも今は記録メディアからほぼ撤退し、若い人たちはほとんど知らないでしょうね。

■会社、仕事

▼TDK入社は、近くに工場があったからというのが、理由のひとつでしたが、配属されたのは、当時全盛だったビデオテープ、オーディオテープの開発、生産を行っていた長野県佐久市の千曲川工場でした。そこで、磁気テープ生産の前工程という磁気テープそのものを生産する工程の塗布工程の生産技術の一員となりエンジニアとしてのキャリアを重ねていくことになりました。既存の生産設備の改造からスタートして、歩留まりアップ、生産スピードアップ、稼働率アップなど生産性向上のためのいくつものテーマに取り組んだのち、新規生産設備の開発、磁気テープの製法開発などを主体とした仕事を行い、その成果を持って実際の生産ラインの設計・改造をするというようなことを行ってきました。当時、世界シェアNo1.のTDKのビデオテープ、オーディオテープの生産の心臓部となる塗布工程のエンジニアとして頑張っていた、今思うととても懐かしい時期でした。エンジニアとしての実質的な最後は、新規製法のため、大幅な設備改造、立ち上げのため赴任したルクセンブルグ工場でした。ルクセンブルグで社内最速ラインを立ち上げ、約4年間、これがエンジニアとしての実質的な最後の職場となりました。しかし、磁気テープの時代は終わりに近づき、ルクセンブルグでの最後の仕事は当時まだあったMD(MiniDisk)のルクセンブルグ工場への生産ラインの導入でした。
▼MDラインをルクセンブルグ工場へ導入後、日本へ戻り、仕事も磁気テープから離れ、千葉県のテクニカルセンターで技術部門での仕事となりました。しかしその職場で、今で言うパワハラを目撃、若いエンジニアが萎縮している姿を見て、これじゃいかん、と思い当時社内公募のあった人事へ応募、異動となりました。パワハラ問題をきっかけに人事へ異動したものの、人事では、技術系の人間ということもあり、技術系人材採用、つまり理系大学、大学院の新卒採用、及び技術系人材の中途採用を担当し、エンジニアとはまた違う激務をこなしていました。ちなみにパワハラ職場は、私の人事への異動をきっかけに会社が問題解決に動き、解散させることができました。
▼採用活動を中心とした人事の仕事はとてもやりがいがあり、面白い仕事でしたが、早朝に出勤してほぼ毎日終電で帰り、土日もほとんど毎週出勤という日々が続き、家にいる時間はほとんどありませんでした。が、充実した仕事に没頭していた私とは逆に、家ではルクセンブルグからの帰任当時小学校と中学校に入学というタイミングだった子供たちが、ルクセンブルグでのアメリカンスクールとは全く違う日本の学校システムになじめずに、苦しんでいたのです。人事という新しい仕事に没頭していた私は、全くそれに気づかず、結果として、私は子供たちを救えずに、いろいろな経緯の末、会社を辞めるという決断に至りました。

■退職、起業

▼子供たちの問題が表面化してから、私と家内は、問題の大きさから、将来的に会社を辞める可能性があるかもしれない、とその時にすでに頭をよぎっており家内が家で出来る仕事を始めることを検討しました。いろいろと調べた結果、2004年、ネットを使った子犬のブリーダー直譲販売、というネットペットショップを始めることにしました。
▼会社から帰宅後、今までやったことのないホームページを私が作り、家内と一緒に犬についての勉強を始めました。土日は、取引先の開拓、また同時にブリーダーから犬に関するいろいろな情報を集めるため、ふたりでいろいろなブリーダーを訪問していました。
▼ネットペットショップを家内が始めて2年後、いろいろな状況から会社を辞めるという決断に至り、新しくペット関連の会社を立ち上げました。

▼2006年に会社を辞め、新たにこの仕事を法人化した当初は、ネットでの子犬のブリーダー直譲販売が仕事の主流で、ネットショップオープン2年目からは、月に20頭近く、年間では軽く200頭を超える子犬をブリーダーの元から新しい飼い主さんの元へ送り出してきました。しかし、たくさんの子犬を送り出す中で、残念ながら、噛むようになったから犬を返したい、引っ越しするから引き取ってくれ、など理不尽な理由で返される犬が、確立としては1%にも満たないのですが、ぽつぽつと発生してしまいました。
▼こういうトラブルは稀にしかありませんが、一度発生するととても心が重く、私たちへのダメージは大きなものになります。子犬を迎える人間の意識をもっと高める必要があるのではないか、という気持ちが次第に大きくなっていきました。そして、ちょうどその頃、長野にいるころに家に迷い込んで、家から離れなくなり、結局飼うことにしてルクセンブルグへも連れて行った犬が、推定年齢20歳以上で亡くなりました。その直後に、老犬介護に関する仕事の勉強会などに誘われ、老犬介護の勉強、実習を行う中で、老犬を含めて、すでに飼われている犬が楽しく飼い主さんと過ごせるようなお手伝いはできないか、と考えるようになりました。
▼結果的に、その思いから、ネットではなく実店舗で子犬から老犬までのお世話をする「犬のお留守番ハウス ペット・トライアングル ドッグケアサービス店」を2008年にオープンすることになりました。ここでは、実際に飼われている犬、そして飼い主さんの声を直接聞くことによって、犬を飼う中で、いろいろと困ったことなども多く、特に飼い方やしつけ方によるところが多いことを実感してきました。
▼その後、店舗を引き継ぐ形で現在のLOVEDOG店に移転し、トリミングも含めて、ペットホテル、老犬ケア、そして家庭犬トレーニングと、総合的な犬と飼い主さんのためのドッグケアサービスを行っています。

■アルバイト

▼店舗はそこそこ順調に運営してきましたが、最近できた近隣の某大型ショッピングモールの影響か、ここへきて売り上げが減少、将来的な不安もあり、お店の運営にはあまり影響がない僕が、アルバイトをすることにしました。
▼しかし、そこで年齢の壁を感じることになったのです。アルバイトなどは、やはり若い人や主婦(夫)を対象とした仕事が多く、実質的にこの年齢で採用される可能性のある仕事は、かなり限られている、という現実です。
▼某居酒屋に応募した時は、あからさまに電話でいきなり、うちは忙しいから若くないと厳しいよ、的なことを言われ、いかにも辞退しろという意味なのが見え見えで不愉快な気持ちにさせられたこともありました。
▼結局、この年齢でも問題なく採用されるのは、警備関係の仕事で、お店の売り上げ減の原因かもしれない某大型ショッピングモールの館内警備として夜勤をすることになりました。昼は自由になるかと思って夜勤にしましたが、夜8時から朝8時までの勤務のため、結局昼はほとんど寝るだけになってしまい、店舗のヘルプやパソコンでの仕事をする時間がほとんど取れなくなり、また家内が体調を崩したことなどをきっかけに5か月で辞めることになりました。
▼その後、近くの某ファミレスのキッチンでアルバイトとして採用され、夕方から深夜までの仕事を行うことになり初めての飲食業で戸惑いながらも頑張っているところです。店舗の売り上げも回復してきたのであえてアルバイトをする必要もなくなったのですが、店舗の経営はやはり安定性という意味ではいつどうなるかわからない、ということもあり、アルバイトをすることにしたのです。それに、夕方以降深夜までのアルバイトであれば、店舗のヘルプもできるし、空いた昼間の時間でパソコンの仕事もできるので、まあまあ無理がないかな、とも思うのでしばらく続けてみようと思っています。

と、こんな人間がこのブログを書いています。サラリーマンを辞めた私には、定年がないので、まだまだ頑張らなくてはいけません。そんな中、このブログをひとつの自分自身への忘備録として、またどなたかの、少しでも役に立つようなものになれば幸いだと思います。よろしくお願いします。

大澤 義比佐